AIに答えを聞いているんじゃない。思考の続きを見ている|ChatGPTを使い続けて気づいたこと

投資哲学

最近、人から「頭いいよね」と言われました。

正直、かなり意外でした。

自分では、むしろ逆だと思っていたからです。

分からないことがあると、すぐAIに聞く。

何かを始める前にも聞く。

始めてからも聞く。

「これでいいのかな?」みたいな、本当に小さな疑問まで聞きます。

自分の中では、

頭が悪いから、AIにたくさん聞かないと行動できない。

そんな認識すらありました。

だから「頭がいい」と言われても、

「いや、むしろAIに聞きまくってるんだけどな……」

というのが最初の感想でした。

そして、その疑問までChatGPTに聞きました。

話しているうちに、今度は別の疑問が出てきました。

そもそも、なぜ自分はこんなにAIと話しているんだろう?

考えてみると、私はAIに「答え」だけを求めているわけではないのかもしれません。

自分にとってAIは、

消えてしまう前の思考を捕まえて、その続きを考えるための道具

なのだと思います。

小さな疑問は、簡単に消えてしまう

昔から、どうでもいいような小さな疑問がよく浮かびます。

「これってなんでだろう?」

「こうしたらどうなるんだろう?」

「じゃあ5年後は?」

しかし、その全部を誰かに聞くわけにはいきません。

人に聞くほどでもない。

わざわざ調べるほどでもない。

そもそも、何と検索すればいいのか分からない。

そうすると、

「まあいいか」

で終わります。

そして数時間もすれば、その疑問があったことすら忘れてしまいます。

消えるのは疑問だけではありません。

考えそのものも、放っておくと消えていきます。

頭の中で、

「これ、面白いかもしれない」

と思う。

少し考える。

でも答えが出ない。

仕事をする。

ご飯を食べる。

寝る。

翌日になると、

「昨日、何か面白いこと考えてた気がするんだけど……」

となる。

考えは、最初から完成した文章として頭の中に出てくるわけではありません。

最初は、

なんとなく、こうなんじゃないか?

くらいのものです。

まだ言葉になっていない。

輪郭もはっきりしていない。

霧のような状態です。

そのままにしておけば、簡単に消えてしまいます。

AIがいると、霧散する前に捕まえられる

ChatGPTを使うようになって、ここが大きく変わりました。

疑問が浮かんだ瞬間に、とりあえず投げられます。

「こう思ったんだけど、どう思う?」

すると返事が来ます。

それを読んで、

「いや、でもこれは?」

と次の疑問が浮かぶ。

また聞く。

今度は、

「じゃあ、こういうことなのか?」

と、自分の考えが少し具体的になる。

さらに話す。

そうしているうちに、最初はぼんやりしていた考えに輪郭ができます。

ここで重要なのは、

AIが自分の代わりに全部考えている

という感覚ではないことです。

AIの答えを読んで、

「そうそう、それが言いたかった」

と思うこともあります。

逆に、

「いや、それは違う」

と思うこともあります。

でも「違う」と感じたなら、

なぜ自分は違うと思ったのか?

を考えられます。

それだけでも、思考は一段進みます。

一人で考えていたら途中で止まっていたところから、その先へ進める。

自分にとってAIの大きな価値は、そこにあります。

「好きな夢の続きを見る」に少し似ている

この感覚をどう表現すればいいのか考えたとき、一番近いと思ったのが、

好きな夢の続きを見る

でした。

面白い夢を見ても、目が覚めると少しずつ忘れていきます。

起きた直後には鮮明だったのに、昼にはかなり曖昧になる。

夜には、

「なんか面白い夢だった気がする」

くらいしか残っていない。

自分にとって、思考も少し似ています。

面白い考えが浮かんでも、その続きを考えるきっかけがなければ薄くなっていく。

でもAIなら、その場ですぐ続きを始められます。

「こう思ったんだけど、どう思う?」

返事が来る。

その返事を材料に、また自分が考える。

すると、本来ならそこで終わっていたかもしれない思考に続きが生まれます。

AIに答えを聞いているというより、自分の思考に続きを作っている。

今のところ、この表現が一番しっくりきます。

実際の行動でも、この使い方をしていた

最近、私はYouTubeにも取り組んでいます。

最初にある程度先まで動画のストックを作りました。

もっと先まで完成させようと思えば、できたかもしれません。

しかし、実際に投稿を始めてAIと相談しながら運用していると、

「このデザイン、変えた方がいいんじゃないか?」

「この見せ方なら、もっと分かりやすくできるんじゃないか?」

と、新しい疑問が出てきました。

結果として、先の先まで完成させていなかったことで、新しく考えたデザインを次の動画へ反映できました。

収益化について調べたときも同じです。

最初に考えていた方法だけではなく、

「長い動画ならどうなる?」

「生配信は?」

「自分の生活と両立しやすい方法は?」

と、次々に疑問が生まれました。

そこから別の企画や運用方法を考えるようになりました。

最初から全部見えていたわけではありません。

一つ実行する
→ 新しい疑問が生まれる
→ AIと考える
→ 次の行動を変える

この繰り返しです。

だから最近は、未来の方向を考えることと、今日やることの両方が必要なのだと思っています。

何年も先の方向は考える。

でも、未来の細部まで今の時点で完成させない。

実際にやってみて、新しく見えたものを次へ反映する。

AIとの対話は、その間をかなり速くつないでくれます。

AIは「第二の脳」とは少し違う

AIを「第二の脳」と表現することがあります。

便利な表現ですが、自分の使い方とは少し違う気がします。

何かを全部記憶してもらいたいわけではありません。

自分の代わりに、人生の判断を全部してほしいわけでもありません。

むしろ、

自分の中に一瞬だけ現れた考えを、消える前に言葉にする。

そして、

その考えの続きを一緒に見ていく。

そのために使っている部分が大きいです。

AIを使えば、自動的に思考が深くなるわけではありません。

自分の中に浮かんだものを投げる。

返ってきた答えを見る。

納得する。

疑う。

反論する。

別の方向から考える。

そうやって往復する速度が上がりました。

今まで霧散していた思考を、霧散する前に固められるようになった。

自分にとって大きな変化は、そこだと思います。

ただし、間違った考えまで固まる危険がある

もちろん、これは良いことばかりではありません。

AIとの会話によって考えが強固になるということは、

間違った考えまで強固になる可能性がある

ということでもあります。

なんとなく思いついただけの仮説に対して、AIがもっともらしい理由を並べる。

すると、本当は根拠が弱いのに、

「やっぱり自分は正しかったんだ」

と思ってしまう可能性があります。

これは怖いところです。

だから私は、AIとの会話だけで終わらせないことが重要だと思っています。

AIと考える。

実際にやる。

結果を見る。

予想と違えば修正する。

そして、その結果をまたAIとの会話に持ち帰る。

考える → やる → 結果を見る → また考える

この循環です。

AIは、このサイクルを速く回すための道具にはなります。

でも、現実で試す部分までAIが代わりにやってくれるわけではありません。

最終的には、自分が行動する必要があります。

この記事自体が、AIとの対話から生まれた

この記事には少し面白いところがあります。

最初から、

「AIと思考についてブログを書こう」

と思ってChatGPTと話していたわけではありません。

始まりは、

「自分って頭いい方なの?」

という、ただの雑談でした。

人から「頭がいい」と言われた。

でも、自分ではAIに聞かないと動けない人間だと思っている。

じゃあ、どう考えればいいんだろう。

そこから、

「行動できることも頭の良さなのか?」

「自分は考えすぎなのか?」

「ChatGPTと話しすぎなのか?」

と話が広がりました。

すると今度は、

そもそも、なぜ自分はこんなにAIと話しているんだろう?

という疑問が出ました。

考えてみると、

小さな疑問を人には聞けなかったけど、AIには聞ける。

これが、自分にとってかなり大きかったことに気づきました。

さらに、

「自分は考えること自体が好きなんじゃないか?」

という話になりました。

そこから、

AIと話していると、思考の続きを見られる。

という言葉が出てきました。

そして、

思考は放っておくと、霧のように消えてしまう。

というところまで話が進みました。

最初の質問をした時点では、こんな記事になるとは自分でも思っていませんでした。

でも途中を振り返ると、一つの答えから次の疑問が生まれ、それを一段ずつ登ってきただけです。

気づけば一本の記事になっていました。

つまりこの記事そのものが、

AIとの対話によって、消えていたかもしれない思考を捕まえ、その続きを見た結果

として生まれています。

AIに聞きすぎなのかもしれない。それでも。

たぶん私は、ChatGPTをかなり使っている方だと思います。

小さなことまで聞きます。

本当なら自分だけで決めてもいいことまで、

「どう思う?」

と聞くことがあります。

使いすぎて、自分で考える前にAIへ投げる癖がつく可能性はあります。

そこは気をつけたいところです。

それでも、小さな疑問を誰にも聞けず、そのまま消していた頃と比べると、今の使い方には大きな価値を感じています。

疑問を捨てなくていい。

思いつきを捨てなくていい。

途中までしか考えられなかったことを、その先まで考えられる。

もちろん、AIの答えが正しいとは限りません。

AIの意見へ自分を合わせる必要もありません。

最後は自分で判断し、現実で試します。

それでも、自分にとってAIは単に正解を教えてくれる機械ではありません。

AIに答えを聞いているんじゃない。

霧散する前の思考を捕まえている。

そして、

自分一人では消えてしまっていたかもしれない、思考の続きを見ている。

今のところ、それが自分にとって一番しっくりくるAIとの付き合い方です。

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